平成30年度 第2回日本赤十字社
原子力災害医療アドバイザー会議について

2019/04/12

 日本赤十字社(以下、日赤)は、2018年12月20日~21日の日程で「平成30年度第2回原子力災害医療アドバイザー会議」を以下のとおり開催しました。

福島赤十字病院での会議


 1日目の会議は、移転を直前に控えた福島赤十字病院の新病院の多目的ホールにて開催しました。全国の原子力災害拠点病院等の指定を受けた赤十字病院から約30名の原子力災害医療アドバイザーが集い、日赤内外のオブザーバー等を交えながら、前回に引き続き原子力災害時の病院業務支援の在り方や原子力災害対応基礎研修会の構成等について議論しました。
 また、2011年の東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故当時に対応に当たった日赤福島県支部の岸波庄一総務課長(兼)組織振興課長及び久保芳宏参事(兼)ボランティア係長を講師に迎え、「福島第一原子力発電所事故への対応を振り返って」と題し、当時の県内各地の被害状況や空間線量、福島県の災対本部や緊急被ばく医療調整本部の様子、そして福島県内における救護活動においてどのような困難に直面したのか、発災から10日間のクロノロジーに沿って当時の写真を交えながら振り返りました。会議議終了後には福島県の原子力災害拠点病院の指定を受けている福島赤十字病院の新病院内の除染スペース等の見学会を実施しました。

【写真1】「日本赤十字社福島県支部の10日間」と題し、当時を振り返る同支部の久保職員の話に聞き入る全国の原子力災害医療アドバイザー

【写真1】「日本赤十字社福島県支部の10日間」と題し、当時を振り返る同支部の久保職員の話に聞き入る全国の原子力災害医療アドバイザー

福島第一原子力発電所の視察


 2日目は福島第一原子力発電所を訪れ、敷地内の現状や廃炉現場の様子を視察しました。

生活を取り戻しつつある周辺地域
 早朝にバスで福島市を出発し、日赤福島県支部武田玲子課長の解説を聞きながら、飯館村*1を経由し、常磐自動車道を使用して南相馬市*2、浪江町*3、双葉町*4、大熊町*5を通り、富岡町*6にある東京電力廃炉資料館に移動しました。道中は、除染された田畑や道路沿いに設置された空間放射線量計を目にする一方で、登下校する子どもたちの光景など、地元の人々が徐々に生活を取り戻しつつある様子が見受けられました。

*1 飯館村:2017年3月31日避難指示解除(一部「帰還困難区域」)
*2 南相馬市:2016年7月12日避難指示解除(一部「帰還困難区域」)
*3 浪江町:2017年3月31日避難指示解除(一部「帰還困難区域」)
*4 双葉町:帰還困難区域(一部「避難指示解除準備区域」)
*5 大熊町:帰還困難区域(一部「居住制限区域」及び「避難指示解除準備区域」)
*6 富岡町:2017年4月1日避難指示解除(一部「帰還困難区域」)

【写真2】常磐自動車道沿いに設置されている放射線量計。
前には除染により取り除いた土壌を中間貯蔵施設に運搬する環境省のトラックが走っていた。

(南相馬市小高区付近)

【写真2】常磐自動車道沿いに設置されている放射線量計。
前には除染により取り除いた土壌を中間貯蔵施設に運搬する環境省のトラックが走っていた。

(南相馬市小高区付近)

警戒区域を通って
 東京電力廃炉資料館からは東京電力のバスに乗り換えて、東京電力社員による解説を聞きながら、警戒区域を通って、福島第一原子力発電所に移動しました。震災と事故からおよそ8年が経過し、警戒区域内の山間には草木が伸びて原野が広がる一方、国道6号線沿いには当時の崩れかけた建物がそのまま残されています。また警戒区域内には雑木林など空間放射線量が高いホットスポットが所々存在することが車内の線量計を通じて確認されました。

【写真3】「この先 帰還困難地域」等の看板が並ぶ警戒区域内の国道6号線沿いの様子

(富岡町本岡付近)

【写真3】「この先 帰還困難地域」等の看板が並ぶ警戒区域内の国道6号線沿いの様子

(富岡町本岡付近)

福島第一原子力発電所の現状
 福島第一原子力発電所では、まず会議室で東京電力社員によるプレゼンテーションを受け、

  • 事故を起こした1号機から4号機の使用済燃料や燃料デブリの取り出し作業の進捗
  • 浄化設備や地下水の流入を防ぐ遮水壁による汚染水対策
  • 平日1日あたり約4,000人が働く構内の放射線防護や被ばく線量管理等の労働環境改善

等、取り組んでいる各課題について解説を聞きました。その後、各自個人線量計を装着し、構内専用のバスに乗って、1号機から4号機、汚染水貯留タンク、汚染水浄化設備、遮水壁設備、そして多くの作業員が各所で作業にあたっている様子などを車内から見学しました。見学ルート中、特に2号機と3号機の間を通過する際は、車内の放射線量計の値が急上昇し、最高200マイクロシーベルト/時以上を示しました。また構内には、事故当時社員が対応にあたった免震重要棟や海側には津波でつぶれたタンクがそのまま残されていました。

【写真4】水素爆発を起こした事故当時の爪痕が今も大きく残る3号機の北側側面

【写真4】水素爆発を起こした事故当時の爪痕が今も大きく残る3号機の北側側面

視察を振り返って
 東京電力の中長期ロードマップの目標行程では、燃料デブリの取り出し開始は事故から10年以内(2021年内)、1号機から4号機の廃止措置終了は事故から30~40年後を想定しています。今回の見学を通じて、原子力発電所事故が周辺の住民や環境、対応にあたる作業員に及ぼす広範かつ長期的な負の影響についてあらためて実感し、周辺地域の復興には先の長い支援が必要であること、また国内外における原子力災害への備えが欠かせないことを再認識しました。