• 福島第一原発事故について

福島第一原発事故について

東日本大震災の特徴の一つは、地震の被害が大きかっただけでなく、原子力発電所の事故を引き起こし、それによる甚大かつ長期的な被害が生じていることです。そのため、日赤の災害救護活動は、これまでの国内災害では経験したことのない対応に迫られました。平時におけるこのような災害に対する想定や備えはなく、かつ情報は不足していたため救護活動は困難を極めました。

事故による放射能汚染は短期的に著しく高いレベルに至っただけではなく、長期間継続し、いまだ収束をみていません。原子力発電所事故への日赤の人道支援は今後も引き続き必要と考えられます。以下で述べます原子力発電所事故対応の記録は、まだまだ続く長い道のりの中間的な記録に過ぎないことにご留意ください。

事故の概要


(1)地震発生直後の状況

地震の発生により、福島第一原子力発電所の1号機から3号機及び第二原子力発電所、女川原子力発電所の全号機は自動停止しました。これに伴う発電機の停止により非常用ディーゼル発電機(DG)が自動起動し、原子炉及び使用済燃料プールの冷却機能を維持していましたが、その後津波により非常用DGが停止し、福島第一原子力発電所1号機から5号機は全ての交流電源を失いました。東京電力は政府とも協力して、電源の復旧などの措置を講じましたが、作業は難航しました。

1号機については、隔離時復水器(IC)が動作不能となり、また2号機及び3号機も直流電源(蓄電池)の枯渇や冷却水の供給が停止したことから、いずれも炉心冷却が行われなくなり、原子炉水位が低下して、炉心が露出したことにより炉心の損傷が開始、やがて溶融に至りました。その後、1号機と3号機では、格納容器から漏えいした水素が原因と思われる爆発が原子炉建屋上部で発生し、それぞれの原子炉建屋のオペレーションフロアが破壊されました。これらによって環境に大量の放射性物質が放散されました。なお、3号機の建屋の破壊に続いて定期検査のために炉心燃料がすべて使用済燃料プールに移動されていた4号機においても原子炉建屋で水素が原因とみられる爆発があり、原子炉建屋の上部が破壊されました。この間、2号機では格納容器のサプレッションチェンバー室付近と推定される場所で、大規模な破損が生じたとみられています。

日本政府は地震発生当日、「原子力緊急事態宣言(福島第一原子力発電所で起きた事象について)」を発令、「福島第一発電所の半径3km圏内の避難、3km~10km圏内の屋内退避」との総理大臣指示を行いました。

翌12日には、「原子力緊急事態宣言(福島第二原子力発電所で起きた事象について)」が発令されるとともに、「福島第二発電所の半径3km圏内の避難、3km~10km圏内の屋内退避」及び、「福島第一発電所から半径20km圏内の避難」との総理大臣指示が出されました。

3月15日には、「福島第一発電所から半径20~30km圏内の屋内退避」との総理大臣指示が出されました。

避難指示区域と警戒区域の概念図
(資料) 経済産業省ウェブサイト

(2)避難区域等の設定

福島第一原子力発電所の避難区域20km以遠においても、放射性物質の累積が局所的に生じ、地域に居住し続けた場合には、積算線量がさらに高水準になるおそれがあると考えられました。また、同発電所の事故の状況が安定していないことも憂慮されました。

そこで4月21日、原子力災害対策本部長(内閣総理大臣)は、対象となる県・各市町村の首長宛に「福島第一原子力発電所から半径20キロメートル圏内を警戒区域に設定し、緊急事態応急対策に従事する者以外の者に対して、当該区域への立入りを禁止し、又は当該区域からの退去を命ずること」との指示を出しました。

翌4月22日には、福島第一原子力発電所から半径20~30km圏内の屋内退避を解除し、計画的避難区域及び緊急時避難準備区域が設定されました。そして、「計画的避難区域及び緊急時避難準備区域内の居住者等は、避難のための計画的な立退き又は常に緊急時に避難のための立退き若しくは屋内への退避が可能な準備を行うこと」との指示を出しました。

その後も、それぞれ避難指示区域及び警戒区域等についての見直しが随時行われ、状況に応じて被災にあった対象地域は避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域に指定されていくことになります。

最新の避難指示区域の概念図はこちらをご覧ください。
経済産業省ホームページ 避難指示等について

日本赤十字社の取り組み


発災当初、日赤の救護班は南相馬市など、沿岸部の市町村を含め福島県内各地で活動を開始しましたが、原発事故の情報が入り、住民の避難が始まった地域において救護班が活動を継続すべきかの判断が求められました。

しかし、日赤の救護班は、放射線下での救護活動をどのように行うべきかの行動基準もなく、また、放射線に対する装備もありませんでした。そのため、日赤の現地災害対策本部であった福島県支部は、日本赤十字社としての対応方針が決定される3月15日までは、他支部からの救護班受入れを一時、ほぼ中断することを余儀なくされました。

その後、日赤は原子力災害下における福島での救護活動を試行錯誤の中で実施していくことになります。

事故発生からの日赤の活動はこちらをご覧ください。
福島第一原発事故 日赤支援活動の軌跡 パート1